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厳島の神々よ! 姫の病を治したまえ vol.12 プリント メール

向洋半島ほこり隊と行く ふるさと歴史散歩 【連載12】
 
厳島の神々よ! 姫の病を治したまえ vol.12
 平清盛ゆかりの地/広島市南区堀越
  

 

 今回から、「向洋半島ほこり隊」の皆さんに執筆いただきます。同会では、向洋地区に残る遺産や伝承などを掘り起こして継承しています。 
 

昔は、広い境内に四間四方の立派な社があったといわれる疱瘡神社(南区堀越3-22-6)。今は周辺にまで家が迫り、神社が見つかりにくいことから案内看板が整備されています

【疱瘡神社の場所】

 
▼疱瘡神社と天女姫伝説


疱瘡神社の境内には、3本の桜の古木があり、吹き抜ける風が心地よく感じます

 広島市南区堀越3丁目の小高い丘の上に、疱瘡(ほうそう)神社という、小さな社(やしろ)がひっそりと建っています。平清盛の娘・天女姫が、当時疱瘡と呼ばれた天然痘で亡くなり、この地に葬られたという「天女姫伝説」が伝わります。お話は次のようなものです。
 清盛を父とし、美人で有名な常盤御前を母として生まれたのが天女姫。牛若丸(後の源義経)とは、父親が違う妹にあたります(本連載1回目の系図を参照)。清盛はこの愛らしい姫をたいそうかわいがっていましたが、姫が14歳の時、疱瘡にかかってしまいました。清盛は国中の名医を京の都に呼んで、一生懸命に手を尽くしましたが、病はなかなか癒えません。「この上は、神のお力にすがるしかない」と悲壮な決心をして、治承3(1179)年2月に天女姫を船に乗せ、平家の氏神である厳島神社まで連れてきました。宮島に到着した清盛は、海水で身を清め、ひたすら祈り続けました。さらに島内のあらゆる神仏に泣きながらお願いしました。そのかいあって、姫はいくぶん元気を取り戻したものの、長旅の疲れもあってか4日目に急変し、ついに2月29日に亡くなってしまいました。
 清盛をはじめ、お供の人たちは嘆き悲しみました。清盛は厳島の神に、「姫を埋葬すべきところを教えたまえ」とうかがったところ、「これより七里東、赤旗のあるところへ」とお告げがありました。船を東へ進めたところ、当時広島湾に突き出た向洋半島に、赤旗が立っていました。清盛は、この地に多くの副葬品と共に姫の亡きがらを手厚く埋葬しました。それより八間東に、疱瘡神社を建てたということです。 
 

 

 


「向洋半島ほこり隊」では、昭和59年発行の郷土史誌「灘の歴史」をもとに、「天女姫伝説」の紙芝居を作成。小学校や公民館で子どもたちに語り継いでいます

 

 

  

【過去の記事を見る】


提供:広島リビング新聞社
(「リビングひろしま」2011年11月19日号掲載)