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厳島の神々よ! 姫の拝所教えたまえ vol.13 プリント メール

向洋半島ほこり隊と行く ふるさと歴史散歩 【連載13】
 
厳島の神々よ! 姫の拝所教えたまえ vol.13
 平清盛ゆかりの地/広島市南区向洋本町
  

 

 本連載は、前回から「向洋半島ほこり隊」に執筆いただいています。同会は、向洋地区に残る遺産や伝承などを掘り起こして継承しています。 
 

法林寺(向洋本町21-11)の北側を通る国道2号の造成で姿を消した赤田山。道路左右の崖が昔の山の名残です。写真左奥は黄金山 【撮影の場所】

 

 
▼赤旗が翻る赤田山
 国道2号に架かる向洋橋の近くに、法林寺(向洋本町21)があります。昔、この辺り一帯は「赤田」と呼ばれていました。70~80代の地元の方であれば、覚えておられるでしょう。郷土史誌「灘の歴史」には、「向洋の丘陵を言う赤田は、赤旗の転訛(てんか)であり、平家の赤旗を翻したる所なり」と記述されています。
 この付近、今では国道2号を造るために大きく削られてしまいましたが、以前は赤田山という小高い山もありました。「天女姫伝説」では、姫の亡きがらを埋葬する場所として、赤旗が翻っていた場所と一致します。
 もともと平家一門は、瀬戸内海一帯に勢力を持っていましたし、平清盛は安芸の守に任じられていたことから、赤旗をなびかせた平家の陣地や、見張り所などがこの辺りにあったことは、十分考えられます。当時の向洋が、広島湾に突き出た半島であったことから、この半島のどこかに陣地を置けば、広島湾や海田湾の船や敵の動きが一望できたことでしょう。現在、赤田という呼び名は、共同井戸の名前に「赤田井戸」として残るのみです。 【法林寺の場所】
 

 
 法林寺の西側にある赤田井戸(向洋本町20-8付近)。このほかにも、古い共同井戸が数カ所あります 【赤田井戸の場所】   “向洋半島ほこり隊”作成の紙芝居「天女姫伝説」で赤旗を見つけた場面

 

 

 
延命湊は、今の日本製鋼所青雲寮(写真中央)付近と思われます

▼材木の集積地・延命湊
 清盛が厳島神社の修造を大々的に行ったことは、本連載7回目で取り上げました。その材木集積地の一つが、前回紹介した疱瘡神社の東側の入り江・延命湊(みなと)であったといわれていますが、定かではありません。

【延命湊の場所】
 
 

※編集部より 
 本連載は“清盛ゆかりの地”を紹介しています。近くで遺物や伝承などをご存知でしたらお教えください

 
 

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提供:広島リビング新聞社
(「リビングひろしま」2011年11月26日号掲載)