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源氏の御曹司・範頼 宮島の近くで溺死? vol.17 |
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村岡幸雄先生と行く ふるさと歴史散歩 【連載17】
源氏の御曹司・範頼 宮島の近くで溺死? vol.17
平清盛ゆかりの地/佐伯区三宅・西区古江上
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NHK大河ドラマ「平清盛」が始まりました。清盛ゆかりの地として、広島も大きく関係するだけに、興味がわきますね。今回は、清盛が40歳ごろの話から始めます。
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▼平治の乱で、武士の頂点に 1156年に起こった“保元の乱”では、平清盛と源義朝らを従えた後白河天皇方が、崇徳上皇に勝利。それから3年後、今度は清盛と義朝の勢力争いが原因とされる〝平治の乱〟が起こります。ライバルの義朝はこの戦いで敗れ、それにより清盛は武士の頂点に立ち、以後栄華を築いていくこととなります。
清盛が亡くなる1年前の1180年、源義朝の三男・頼朝が挙兵。異母兄弟の義経と共に、平家を滅亡させたことは有名ですが、義朝の六男に範頼という御曹司もいました。平治の乱で、死罪となるべき義朝の息子が、もう一人生きていたということで、これも清盛の仏心なのでしょうか。
範頼は、頼朝の代官として木曽義仲を破り、一の谷の戦いや壇ノ浦の戦いなど“源平の戦い”では、源氏軍の大将として活躍。平氏の滅亡後も九州にとどまって戦後処理を行うなど、頼朝の命に忠実に従いました。その範頼の墓とされる五輪の塔が、養護老人ホーム「喜生園」(広島市佐伯区)と、福蔵寺(広島市西区)の2カ所にあるというから不思議です。
地元では、喜生園がある丘を御曹司山と呼び、40年前までは近くに蒲社があったそうです。出生地の遠江国蒲御厨(がまのみくりや)でひそかに育てられた範頼は、蒲冠者(がまのかじゃ)とも呼ばれていて、何か関連性を感じます。
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▼伊豆で自害のはずが・・・
独断専行する義経が頼朝の怒りを買い、奥州で自害させられたように、範頼もまた、頼朝から謀反の疑いをかけられ、伊豆の修善寺に幽閉された後、自害させられました。
範頼の死去には異説があります。越前や武蔵などへ落ち延びたという説のほか、九州へ逃れようとして宮島が見える広島湾まで来たとき、暴雨風に遭って溺死。この地に埋葬されたという説。これには続編があり、国司は範頼をもてなそうと、酒樽や酒のさかなを持って来たものの、範頼が溺死と知り、引き返すことに。その場所が、“樽返し”の地名として残ったということです。
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養護老人ホーム“喜生園”(広島市佐伯区三宅2-1 )にある源範頼の五輪の塔。正門を入り、右手の奥にあります
【この場所】
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福蔵寺にある五輪の塔(広島市西区古江上1丁目)。石碑には、「蒲冠者範頼廟 浅野直道造立」と刻まれています。浅野直道とは、広島藩浅野家の一族の者です 【この場所 緑の矢印】 |
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※編集部より
本連載は“清盛ゆかりの地”を紹介しています。近くで遺物や伝承などをご存知でしたらお教えください
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提供:広島リビング新聞社
(「リビングひろしま」2012年1月28日号掲載)
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