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清盛を財政でサポート 頼れる男・佐伯景弘 vol.18 プリント メール

河浜一也先生と行く ふるさと歴史散歩 【連載18】
 
清盛を財政でサポート 頼れる男・佐伯景弘 vol.18 平清盛ゆかりの地/佐伯区利松   

 

 平安時代、佐伯氏の勢力下にあった佐伯区とその周辺地域。平清盛が厳島神社への信仰を深めるその陰には、佐伯景弘の存在があります。今号から河浜一也さんに、清盛や平氏ゆかりのことについて執筆いただきます。

 
▼神主で郡司のスーパー役人・景弘
 佐伯景弘は、平安末期の厳島神社の神主であり、佐伯郡の郡司でもあった人物です。平清盛と親交を深め、荘園を平家に寄進して、清盛を財政面でサポート。また、厳島神社の修復を勧めて、現在の国宝社殿を建立させ、平家納経の実現を促したともされています。
 もともと佐伯氏は、東北の南部で活躍する一族とされ、神話に登場する日本武尊に取り立てられて、大和政権の氏族になったと伝えられています。後に官吏(かんり/国の役人)として、広島、香川、大分などに配属されました。あの弘法大師は、香川の佐伯氏の出身と伝えられています。景弘の時代になると、彼を頼って各地の佐伯氏の一部が、広島へ移り住んだといわれています。
  

▼橋名に残る役所跡
 当時、景弘が政務を行っていた郡の役所・郡家(ぐんけ)が、佐伯区八幡地区利松にあり、八幡川にかかる郡橋(こおりばし)の橋名に名残をとどめます。その橋の東側にある正覚寺から利松集会所までの辺りに、どうやら郡の役所があったのではないかと思われます。さらに古地図を見ると、“郡(こおり)”の地名もうかがえます。また、郷土歴史家の佐々木卓也さんの著書には、この地に条里制の遺構の存在を指摘。古代の大町郷や大町駅はこの辺りにあったと考えられます。
 奈良時代に、京と九州を結ぶ道として整備されたのが山陽道。別名を古道、または影面の道(かげとものみち)と呼ばれ、当時、太田川のデルタを形成していなかった広島の北部を通過。今の安佐南区のアストラムラインに沿って、広島修道大学前から佐伯区石内地区を通り、山沿いを南下して、郡橋の東に至ります。
 ここから南東方面に見える鈴が峰は、富士山の形に見えることから、地元では、“八幡富士”という異名で親しまれています。万葉集には、「佐伯山」という名で登場しています。(学習共同体河浜塾 河浜一也)
 

 


正覚寺(広島市佐伯区利松1-6-9)と古代山陽道(影面の道)。郡橋~正覚寺~消防署八幡出張所~利松集会所と続く県道290号は、古代山陽道とも一致します【正覚寺の場所】

 
八幡川に架かる郡橋(八幡3丁目と利松1丁目)。橋名に郡家の名残をとどめます。背後に山陽新幹線の高架が見えます【郡橋の場所】
 
 

※編集部より 
 本連載は“清盛ゆかりの地”を紹介しています。近くで遺物や伝承などをご存知でしたらお教えください

 
 

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提供:広島リビング新聞社
(「リビングひろしま」2012年2月4日号掲載)